メモリアル


看護学校に入って、いろんなことがありました。
ちょっと振り返ってみようと思います。
語れるのはごく一部。
本当にいろんなことがありましたよ。



入学して最初に購入した医療用具、
血圧計とステート。
早速おもちゃになった。
300まで加圧してみたり、
マンシェットにつなぐチューブに
直接ゴム球をつないで加圧してみたり。
心音もグル音も何回も聴いた。
そうやって何回も触って、いじって、
自分のものにしていった。
みんなでひとりの血圧を測って、
なかなか結果が一致しなくて、
なめてかかってたことを思い知らされた。


ベッド上での排泄、オムツでの排泄、浣腸、清拭、筋注etc・・・
入院した患者さんが強いられるであろうことを実際に体験した。
必要なんだから仕方ないじゃん
なんて言えなくなった。
自分で体験してみることの大切を知った授業。


初めての実習、何もできなくてくやしかった。
退院を控えた患者さんの不安を感じとり、
何かできないかって、必死で考えた。
私なりにとらえた患者さん像、
憧れの看護師でもある先生が認めてくれた。
患者さんにすることは、できるだけ自分でも試してみた。
それも認めてもらえた。
駆け巡る看護師さんがカッコよくて、
いつかはこんな風になりたいと思った。


体が不潔だと、いろんな問題が起こってくる。
動かないでいると、動けなくなってしまう。
でも、患者さんのためと思って行ったことが、
結局患者さんにとっては負担になることがある。
どう折り合いをつければいいか、かなり悩んだ。
その人が自分のためになると思えなかったら、
どうしたって義務感を伴ってしまう。
説明するのも簡単じゃなかった。


言うのは簡単、やるのは困難
これが私のベース思考。
その考えはみんなとは違うことが多くて、
初めはみんなに合わせて黙っていたけど、
だんだん自分の考えも言うようになった。
私が頑固に考え方を変えなかったからか、
ひとつのことについて結構長い時間話し合って、
話し合うことの楽しさを知った。
いろんな人の考えを聴く良さも知った。
いろんな人のいろんな考えを聞いて自分の世界を広げたい
そんな風に思ってたのに、
結局自分の考えに固執して、世界を狭めていたことに気がついた。
沢山話し合って、
十人十色の感情を持った人間と接することの難しさ、
十人十色の人それぞれに最良のものを提供する看護の難しさを知った。
それができるようになったら、すごい素敵なことだと思った。


ゼミの事前課題が終わらなくて、
ゼミが始まる前に提出できなきゃ参加させないと言われ、
2日で完成させて提出し、先生を驚かせた。


副学校長(学校内での事実上トップの人)のテストの、
しかもこれで60点取れなきゃ再履修
(来年下の学年と一緒にテストを受ける)
という再試験を、白紙で提出した。


何事においても、苦しい言い訳はしなかった。
聞かれたことに対して、正直に答えるだけ。


定期が切れて、交通費節約のために家から歩いて学校に行った。
3時間かかって、足には水泡が沢山できた。


春休みも夏休みも冬休みも、学校があいてれば行った。
どんな状況でも絶対休むことも遅刻することもしなかった。


いつのまにか、根性と度胸のある子だと認識されるようになった。
たしかに、しぶとい子だと自分でも思う。



友達が沢山できた。
限られた人としか話をしなかった高校まで。
今はいろんな人と、他愛もないことから真剣なことまで、
いろんな話をする。
みんないつだって親身になってくれるし、
私もみんなに対してそんな風になれたと思う。
こんな友達、これから先どこに行っても
できないんじゃないかと思うくらい
本当に大切だから。


自分で丈を直した、世界に1着しかない実習着。
汗と涙と思い出がいっぱいつまってる、大切なもの。
戴帽式でもらったキャップ。
ずっとつけてみたかったから、すごい嬉しかった。
でも、実習が始まって、意外と厄介なものだと知った。
でもやっぱり、宝物。


実習や授業の中で
人に注射をした。
カルテを読んだ。
カルテに書いた。
出産に立ち会った。
赤ちゃんを抱っこした。
お風呂に入れた。
ミルクも飲ませた。
オペを見た。
直接血管を触った。
最後の縫合もできた。
回診の介助をした。
救護の世界を体験した。


看護学校に入って、いろんなことを経験した。
この世界じゃなきゃ体験できないことも沢山あった。
この2年半は決してムダじゃなかったと、
そう思う。