理解しにくいかもだけど・・・
死にたいなぁ・・・と思ってます。
漠然と。
でもそれは、決してマイナス的な意味ではないんです。
要らなくなったものって、捨てるじゃないですか。
じゃないと片付かないし。
それは物でも命でも同じかなぁって、
私はそう思ってます。
看護師になりたくて、
言い換えれば、やりたいと思えることって看護だけで、
だから看護師になれないんなら、
私の人生、別にいらないかなぁ・・・って。
使い道もないのにだらだらととっておいてもねぇ。
と、高校生のときから思ってたわけですよ。
そんな感じで、別に絶望とか失意とか(同じか?)
大それた思いを抱いているわけじゃないんですが。
死にたいというか、
どっちかというと死んじゃってもいいかなぁ・・・
っていうほうが近いかもしれません。
まぁ、死なないと思いますけどね。
死ぬのって簡単じゃないから。
生物の防衛本能っていうんですかね?
あれ、すごいから。
というか、欲があるうちは死なないと思います、人は。
“死にたい”という欲も含めて。
“死にたい”という思いも、立派に生きる力になってくれます。
ヤバイのは、なんの欲もなくなったとき。
からっぽになったら、生きていられないんじゃないかなぁ・・・。
まぁ、これはマンガの受け売りなんですが。
私はそう思ってます。
かなり漠然とこんな風に考えていたわけですが、
なんで今になってそんなこと言い出した(書き出した?)かというと、
今日本屋さんに行って立ち読みした雑誌で、
雅さんという方が言ってたんですよ、
死にたいって思うのは、
生きることが当たり前になっているから。
昔は生きるのに必死で、
死にたいって思う余裕なんてなかった。
それってすごく贅沢なこと。
なんとなく、私の勝手な彼のイメージで黒字にしてみました。
だいたいこんな感じ。
細かいとこまでは憶えてなくて、ゴメンナサイマセ。
そんな目新しい言葉でもないんですけどね、
「死」とはまったく別の話ではありますが、
同じようなことを思ったこともありますです。
でもなんか、妙に納得してしまったんですよ。
我流に言い換えると、
死にたいって思うのは、生きていられることが当たり前になっているから。
ほとんど変わってませんが、
でもちょっとはニュアンスが違うと思うのは私だけ?
昔の日本に限らず、
今だって生きたくても生きられない人はたくさんいますし。
確かに贅沢だとは思います。
日本では、色んなことが“当たり前”になってしまっています。
マザーテレサ氏も言っておりました。
日本はとても豊かな国だけど、心の貧しい国だ
とかなんとか(またうろ覚え・・・;
話を戻しまして。
贅沢だとは思うんですが、
でもね、それで生きたところで、
生きられない誰かが生きられるようになるわけじゃないし、
私がその誰かの人生を生きられるわけでもない。
だったらあんまり関係ないかなぁ・・・なんて。
なんだか今日はしんみりモードです。
こういうことは人それぞれ考え方が違うので、
あ〜、あんたはそう思ってんのね
って聞き流していただけると幸いです。
ただ、ひとつ、
意見の押し付けになってもかまわないから言いたいのは、
死にたくなっちゃったときに、
それを打ち明けられる相手を見つけておきましょう。
言葉にするだけで楽になれることってあるし、
溜めとくとつらさが増すこともあるし。
よっすぃ、まゆちゃん、
これからもよろしくね☆