話をするときはまず話をしても良い状況かどうか見極めましょう


朝っばらからままりんが
ディープな話を始めたんだ
こっちは時計とにらめっこしながら
ご飯を食べているのに


だからその話今じゃないとダメですか?


年をとると察することってできなくなるのかしら
話し始めたらどこまでも深くなりそうなテーマ
どっちが良いとか悪いとかいうことじゃないと思うし
私は病院へ行きます



染色はもう諦めて
今日はただひたすらにスケッチの人です
絵を描くのは苦手だけれど
描いておかないとレポートづくりで困るだろうから
とりあえず各染色につきひとつずつ描いておいて
時間があったら他のも描くことにして
しかし1日顕微鏡をのぞいているのはやっぱりつらい
病理医の先生はすごい


先生といえば今日は切り出しを見逃しました
気づかないふりはいろいろな場面でよくしますが
今日は本当に気づかなかった
まだかなって思って
奥の部屋をのぞいてみたらもう何もなくて
片づけさえ終わっていたとゆう


いつ?


いつやってたの?


って
まったくそれらしい雰囲気なかったのに
物販?みたいな人が
何度も行ったり来たりしていたから
先生が来てもその人だと思ってしまったのだろうか
人のせいにしてはいけないけれど
どうしてもあの技師さんの存在が頭をよぎる
今日もスケッチマンの私を無視して
いろんな話をしてきたわ
帰りにイトー●ーカドーに行くんだとか
趣味の雑誌の発売日なんだとか
そんな報告されても・・・
そんなこといったら私だって
明日はイケメン雑誌の発売日ですよ

そうか明日は本屋さんに寄らなきゃ


脱線


お昼休みも
更衣室にいてもただ突っ立って
暑さに耐えて汗をかくだけだから
早々と実習に戻って
スケッチの続きをしようと思ったら
ちょっとおいでっていうから
何かと思ったら落語の話で
雀がどうとかいうタイトルで
こういう話で
まぁこれがオチなんだけどね


終了


あなたの話にオチがない
何を伝えたかったのか
おもしろいでしょって言うけれど
遊び人の息子の雀の落書きに
親がカゴを描き足して
自分は親を籠描き?にしてしまった親不孝者だと
後悔する息子の思考回路も理解不能なら
その話のどこに
ひとつのお話として存在している
理由があるのかも分からない
落語ってそういうもんなのかしら
どうせなら鳥みたいに飛び回っている息子に
いつでも帰っておいでみたいな
親のメッセージが込められていた
とかの方が感動的でいい気がする
落語として成立するかどうかは知らないけれど


午後も自分の話で盛り上がっちゃって
自分でうどんを打つとか
迷惑な話だ
一緒に生活していればだけれど
いろいろやるのはいいけれど
その間台所を使えない人間がいるってことも
忘れないでほしいですな


しかし料理が得意みたいに言っているけれど
染色の様子を見ていると
とても上手そうには見えない
少なくとも
スマートではなさそう
やたら洗いものが出て
やたら時間がかかって
今日は早めに上がってくれて良かった


どうか
どうか彼に暇を与えないでください


心からそう願う